Selasa, 21 Juni 2011

naskah zenkoku benron taikai

ini naskah speech yang saya tulis untuk zenkoku benron taikai tgl 11 juni 2011 kemarin. douzo..^^

現実と言う名の怪物

皆さん、こんにちは。はじめまして、私はハニナと申します。どうぞよろしくお願いいたします。今日、私は「現実という名の怪物」と言うタイトルでスピーチを話したいと思っております。
怪物という言葉を聞くと、皆さんはどんなイメージを想像しますか。怖くて獰猛な生き物だと思いますか。それとも大したものではないと思いますか。辞書で調べれば、「怪物」とは英語では 「モンスター」という正体のわからない、不気味な生き物で、一般に大きくて力の強いものと言う意味です。
私自身ももし本当の爪も牙も持っている怪物や猛獣に出会ったら、体が動けなくなり、怖くなってしまうのでしょう。注意しないと、きっと怪物の獲物になるのです。しかし、このスピーチの内容は本物の怪物のことではなく、現実を怪物に喩えたものです。現実にはいい現実と嫌な現実があります。私にとって、嫌な現実は時には怪物のように、私の志を潰そうと押し寄せてくると感じています。覚悟がなければ、その「現実という名の怪物」にやられてしまうのでしょう。皆さんはどう思いますか。目の前にある現実は怪物のように見える、そういうような気持ちを感じたことがありますか。私達は、凡人として酷すぎる現実に向かったら弱くなり何もできなくなってしまうかもしれません。人生には、そういう時があるはずだと思います。そういう時がくると、皆さん、どうしますか。力が出なくなって、その危機を乗り越えられないと思って、現実から逃げようとしますか。それとも、全力を出し切って、精一杯その怪物と戦って、勝たなければならないと考えますか。
私も嫌な現実に出会ったことがあります。高校生の時、ゴールキーパーとして、サッカー部に入っていました。チームの中にゴールキーパーは私しかいませんでした。あるとき、私達のチームが大会に出場して決勝戦まで進出しました。全員がとても喜んで気分が盛り上がりました。ところが、決勝戦二週間前、練習で事故が起こりました。私は左手首を骨折してしまいました。「どうしてこんなタイミングで」、「どうしてこんなこと起こってしまったのだろう?」「何で私に?」「私以外にゴールキーパーがいないのに...」と自分自身に問いかけました。とても辛かったです。最初は悔しくて、悔しくて、もう試合に出られないとあきらめようとしました。私にとって、その現実はとても苦しくて、怪物のように見えました。チームのこと、決勝戦のことなどを考えたら自分が落ち込んで、怖くなりました。しかし、その時は家族や友人とチームの仲間が温かい気持ちと励ましをたくさんくれたので、私はだんだん元気になりました。「そう、心配はいらない、私は一人じゃないから。よし!いける、この怪我が治る!」と積極的に考えました。そして、決勝戦三日前に医者が「怪我はもう大丈夫です」と言って、私は試合に出場できました。決勝で残念ながらうちのチームが負けました。少し悔しかったですが、試合に出ることができて満足しました。嫌な現実を乗り越えられて、チーム仲間と一緒に頑張れて、とても嬉しかったです。
人生には嬉しいことも辛いこともあります。辛いときが来ると、決して逃げないで、その現実に立ち向かっていいと思います。怖くて逃げることは必要ありません。なぜなら、つらい時には、支えてくれる大切な家族と仲間がいるからです。きっと、一人じゃないことを考えればいいと思います。そして、もっと大事な存在として、神様がまもっていると信じています。人間は傷つきやすいものだと言われますが、本当は強い存在だと思います。人間にはそれぞれ自分の力もあるし、愛しい人々からの励ましも自分の強さになるのです。ですから、現実から逃げないこと、怖がらないことが大事だと 思います。これからも、怪物のような嫌な現実に出会うかもしれませんが、そのとき躊躇せずに、その怪物とぶつかって、一生懸命に戦って、勝ちぬきましょう。
これで、私のスピーチを終わります。聞いていただき、まことにありがとうございました。

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